コスモスさん
今、ゴマメさんが大好きな高校野球が開催されています。
地元の、金沢高校、福井商業、高岡商業が揃って勝ち進んでいますので、いたってご機嫌です。
貴方は、全国高等学校野球選手権大会のテーマソング「栄冠は君に輝く」を知っていますか。
雲はわき 光りあふれて
天たかく 純白のたま きょうぞ飛ぶ
若人よ いざ まなじりは 歓呼にこたえ
いさぎよし ほほえむ希望
ああ 栄冠は 君に輝く
この歌は、戦後、朝日新聞が公募したもので、加賀市出身の、加賀大介氏の作によるものです。
今日も甲子園では、白雲の下、この歌が晴れがましく流れています。
コスモスさん
今日は、吉田兼好の旅の話をします
高校時代に習った「徒然草」の中に、
「いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ目覚むる心地すれ。・・・・・」というのがあります。
これを、角川文庫の現代語訳から書き写すと以下のような文になります。
「どこでもよい、ちょっと小さな旅をすると、目が覚めるような新鮮な気分になるものだ。
あちこち見て回ると、自分の住んでいる所とはずいぶん違うものだと、改めて感じさせられることが多い。そんな旅の思いが、残してきた家族への情愛をかきたてて、「ああしろ、あれを忘れるな」などと、気配りの細かい便りを書かせるものだ。
楽しい旅のなかでは、何にでも心配りが細やかになってくる。携帯品までも引き立って見え、才能ある人や美しい人などは、ふだんよりいっそうすばらしく見えるものだ。
遠く離れた寺院・神社などに誰にも言わずに出かけて、泊りがけで祈願するのもなかなかいいものだ。」
とあります。旅は、心をリフレッシュすると言っています。
吉田兼好は、鎌倉から室町時代の動乱期の人ですが、その感覚は、今と変わらないですね。
彼は、幕府の役人、いわゆる高級官僚でしたが、政争に敗れ30歳前後に官僚体制から飛び出し世捨て人になりました。
名門の彼は、関東や京都に土地家屋をもっており、関東と京都を何度も往復したようです。
そして、その視野の広さが文人兼好をつくったようです。
コスモスさん
今日は、幕末の時代が好きなゴマメさんとしては、吉田松陰の旅の記録を紹介します。
吉田松陰は、1830年天保元年8月4日、長州の萩に生まれました。
天才の松蔭は、18歳の時、藩主に「長州藩学制改革」の意見書を提出し、その後、獄死するまで、彼の長い旅が始まります。以下簡単に列挙します
嘉永2年19歳
長州藩内の海岸を巡視
嘉永3年20歳
下関、長崎,平戸、熊本に行く
嘉永4年21歳
神戸、江戸、水戸に行く
嘉永5年22歳
会津、新潟、佐渡、秋田、弘前、青森、盛岡、仙台、米沢、日光、足利、館林、水戸、江戸に行く
萩に帰って、長州追放罪になる士籍剥奪、家禄没収の罪になる
嘉永6年23歳
大阪、伊勢、京都、江戸、浦賀、長崎、萩に帰って、また大阪、京都、江戸に行く
この間、ロシヤ密航を企てる
安政元年24歳
藩主に「海戦策」を提出
江戸、下田、に行き、黒船への密航失敗、下田奉行所に拘禁、手錠足かせで江戸に送致され、伝馬町の獄に入る
。 萩に送られ野山獄に入牢
安政2年25歳
自宅蟄居を命じられ、松下村塾で、若者(侍以外もOK、身分を問わない)への講義を開始する
安政6年29歳
江戸に召還され、10月27日処刑される享年29歳
以上簡単に見ただけで、松蔭が物心ついてからは、獄に入るまでは、旅の連続だったことが分かります。彼の旅の目的は、その地の知識人と面会し、意見を交換することが主目的でしたが、いかに充実した毎日を過ごしたかが想像できますね。
晩年、萩で、謹慎していた約4年間に「松下村塾」で多くの有為の人材を育成しましたが。これだけの旅を体験した彼の講義は、どんなであったでしょうか。
コスモスさん
この季節、清流の魚影も濃くなり、釣り糸に絡まる銀鱗の光は既に夏の輝きを帯びています。
夏が大好きだったゴマメさんとしては、かなり遠い昔となった旅を思い出します。
「いまから八十四年前に、私は周防ノ国岩国大字川西の八百七十七番地の家に生まれた。山口県と言わず、周防ノ国と言う方が、私の昔風の感覚に似合っているからである。」これは、宇野千代の小説「生きて行く私」の書き出しです。
昭和から平成に元号が変わった、その頃、私は仕事の関係で、よく岩国に出張していました。泊まるのは、いつも岩国市内の繁華街にあるビジネスホテルでしたが、ある時、その地の友人に、錦帯橋の近くにある国民宿舎の「半月庵」を薦められました。
「半月庵」は、宇野千代の小説「おはん」(映画では吉永小百合が主演した)に出てくる宿で、幕末の頃は、若い武士達が集会所として、よく利用した所です。
「半月庵」は、岩国から、錦川に沿って、上流に車で約三十分ほど上った所の錦帯橋の近くにありました。対岸には六万石の岩国城が見え、橋の下の清流では、鵜飼が幻想的な灯りを揺らしていました。
ところで、この錦という字で、我が町の錦城山を思い出しませんか。
「半月庵」には、太平洋戦争開始時に、ハワイ攻略部隊の山本五十六や連合艦隊の首脳が一同に集まりました。その人たちの中には、第一航空艦隊参謀長の草鹿龍之介少将も居られたのではないかと思います。彼は、大聖寺藩士の子息で、錦城小学校の出身です。
故郷の大聖寺川や、錦城山をきっと思い出したにちがいありません。
私が、泊まったころは、まだその頃の記念品や雰囲気が建物に残っていましたが、今は立て替えられて、近代的なものになり、錦帯橋も架け替えられているそうです。
ただ、清流と錦川沿いの竹林は健在なのでしょうか、竹林は宇野千代の小説にも良く出てくる風景ですから。
コスモスさん
北陸もいよいよ梅雨に入ったようです
キャンバスも夏を迎えて キャンバス夏休み特集などの イベントを企画しています
詳しい事をまもなく 発表いたしますので ご期待下さい