コスモスさん
五木寛之の「大河の一滴」でこんなことが書いてありましたので、紹介します。一部小生の意訳を含みますので、全文一致ではありません。
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毎日の暮らしの中で、あまりにも人を無視した乱暴な扱いを受けることがある。なんてひどい連中だ、と腹から怒りがこみあげてくることもある。ごく一般の庶民の端々にまで小権力をふりまわすいやな男や女たちがたくさんいる。しかし、そんな社会の片隅で、ときどき驚くような率直な人間性や、自然にあふれる優しさと出合うこともしばしばある。そして、そういうときのうれしさは、たとえようもない。
私たちは、人生は明るく楽しいものだと最初から思い込んでいる。それを用意してくれるのが社会だと考えている。しかし、それはちがう。
シェークスピアの「リア王」の登場人物がつぶやくように、「人は泣きながら生まれてくる」のだ。この弱肉強食の修羅の巷、愚かしくも滑稽な劇の演じられるこの世間という円形の舞台に、私たちはみずからの意思でなく、いなおうなしに引き出されるのである。あの赤ん坊の生まれてくる時の産声は、そのことが恐ろしく不安でならない孤独な人間の叫び声なのだ、と嵐の荒野をさまよう老いたリア王は言う。
これをネガティブで悲観的な人生観と笑う人もいるかもしれない。しかし、仏陀の出発点も、「生老病死」の存在として人間を直視するところからであった。
いまこそ私たちは、極限のマイナス地点から出発すべきではないか。人生は苦しみの連続である。人間というものは、地球と自然と人間にとって悪をなす存在である。人は苦しみ、いなおうなしに老い、すべて病を得て、死んでいく。私たちは泣きながら生まれてきた。そして、最後には孤独のうちに死んで行くのだ。そう覚悟した上で、
なにも期待しないときに、思いがけず他人から注がれる優しさや、小さな思いやりが「干天の慈雨」として感じられるのだ。そこにおのずとわきあがってくる感情こそ、本当の感謝というものであろう。
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コスモスさん、どう思いますか